吠えたくなるときー。

あなたをこの世界に顕現しよう!

吠えたくなるときー。

吠えたくなるときーーーーー!

 

自由な人はわざわざ
私は自由って言わない。

幸せな人はわざわざ
私は幸せだって言わない。

ここで言ってる
言わないって言うのは、
吠えない、アピールしないってこと。

何を隠そう
随分と私が
吠えてきたんです。

自由とか幸せとかの言葉に限らず、
今もたまに吠えている。w
(知ってる。知ってる。)

 

そして、

「私はこういう人間なんです。
だから、わかってほしい。」

「私はこういう人間なんです。
ね、凄いでしょ。」

ねえねえ、認めてよ。
世界中のみんな認めてよ。

承認欲求が発動しているんです。
(承認欲求は多かれ少なかれ人間誰しもあります。
それ自体が悪ではありません。)

 

なぜ?
自分はそうじゃないと
「その時」思ってるいるから。

 

私は自由じゃない。
私は幸せじゃない。
私は誰にも認められていない。


Facebookの自分の過去投稿が上がってきて、

思わず、笑ってしまう時があります。

 

「おー、おー、吠えとりますな。」と。


ただ、普通に、心地よく

「ああ、自由だな、幸せだな、素敵ことだな」
とも書いています。


でも、吠えている時と明らかにエネルギーが違う。

主張している時はエネルギーとは違う。

 

別にいいと思うんです。
吠えたい時は吠えればいい。
それがダメだとかではない。

 

だけど、私は100万回でも同じところに
還りつく。

それを認めて欲しいのは誰よ?
そうなんだね。
って聴いて欲しいのは誰よ?

わたし。
(この私も実は幻っていう視座は今日は置いておこう。)

 

吠えてる自分をどうにかしようなんてせず

「ああ、吠えてんだな〜。」って

「ああ、吠えたいんだな〜。」って

「認めて欲しいんだな〜」って

気づいておけばいい。

 

無意識からの意識化。
意識化されたもの、認識できたものは
いくらでも扱える。

 

吠えてるのは、
自分だと勘違いしている自分だから。

 

しかしだよ、
先日の私のFacebookの投稿でも、
よーく自分を眺めてみると

作家さんに「それいいですね!」
と言われた私を世界にアピールしたかったんだね。w

ねえ、みんな私、こんな感性持ってるの。
私、凄くない。ってね。


聴いてやる。聴いてやる。

私が聴いてやる。
私が一番聴いてやる。

自分を信じてないから
アピールしてわかってもらわらないと
わかってもらえない。
と思ってる。

 

主張しなくても、アピールしなくても、
自分がただ、ただ、聴いてあげて、
自分はそうであると言う
「在り方」であれば、
吠えなくても、ダダ漏れるのにね。

 

でもさ、吠えたくなる時だってあるさ。
吠えたっていいよ。


でも、いつだって知ってる。

気づいている。


吠えたいほどに、

信じてない自分を。
そんな自分を私は今日も抱きしめる。

ワオーーーーーーーーーー
!!!!!!!

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