「湧きおこること。」
私は今から8年ほど前に、実家に1年半ほど帰った。
「イギリスに留学します」
当時の会社のみんなに伝えて退職し、東京の家も引き払った。
イギリスに留学するなんて大口叩いたけど、
実は、イギリスに行けるほどの貯金はなかった。
イギリスに行きたいのも本気だったけど、
ただ、仕事を逃げ出したかった。
ただ、ボーーッとしたかったんだと思う。
その頃はまだ心の勉強もしてなくて、
自分の潜在意識のこともよくわかってないから、
「イギリス!イギリス!」と
自分に無理やり言い聞かせていのだと、今は、わかる。
だけど、
「イギリス」が私にとって
大切なキーワードであることは確か。
今も留学の想いは消えていない。
実家での暮らし……
疲れて帰ってきた私は、
実家に帰って来た初日に父と大ゲンカをした。
ネットの回線のことで。
父からすると、
いきなり仕事を辞めて帰って来て、
私が家を出て東京にいた間、
実家には実家の生活リズムができていたので、
それを引っ掻き回そうとしているように感じたのかもしれない。。。
それからも、父とは度々喧嘩をして、
「この都落ちが!」
と怒鳴られたこともある。
ああ、そうか、自分は東京に敗れたと思われているのか
そう思った。。。
父と喧嘩もしていたが、最初の2、3ヶ月は良かった。
だけど、段々と心が沈んでいく自分もいた。
イギリスに行けていない自分。
何もしていない自分。
それでも私は何か、もがこうとして、
博多の中洲のお店でホステスのアルバイトをしたり、
派遣のテレホンアポインターの仕事や
アウトレットで販売のバイトをしたりもした。
(この経験も今は良かったと思っている。)
ある日、アルバイトに向かっている時
博多駅の大型ビジョンに、
私が担当していたアーティストのライブ情報が映った。
心は、また沈んだ。
「一体私は何をしているのだろうか?」
毎日、毎日がただ過ぎた。
そんな時に、テレビを見ていたら
このCMを紹介している番組を見た。
私の中に、物凄い衝撃が走った。
久しぶりにクリエティブなものを見て、
ただ、ただ、感動した。
胸が震えた。
こういう、心震える感動を伝えることをやりたい。
そして、自分も感動したい。
その後も何度も何度もこの映像を見た。
そして私は決めた。
「東京に帰ろう。」
イギリスに行くと言って、行けていないから、
何ノコノコ帰ってきてんだって言われるかもしれない。
だけど、もう一度出直そう。
みんなに会ったら、ごめんなさいって
正直に言おう。
実家に戻って、1年が経とうとしていた。
そんな矢先、父と絶縁していた、おばあちゃんが亡くなった。
私が実家に帰ってからは、
祖母と父の仲を戻したくて、仲裁に入っていた。
父がギャンブルで借金を作り、
おばあちゃんの家が担保になっていたので、
おばあちゃんが住んでいた家も、土地も無くなった。
父にとても怒っていた。
当たり前のことだろう。
「お父さんとはもう会いたくない!」
そう言っていたけれど、
亡くなる前は
「どんなことがあっても息子は息子。
子供は可愛い。
だから、お父さんに会いたい。」
と言っていた。
父にそれを伝えたが、
父は、おばあちゃんに素直に謝る
勇気がなく、ずっと
「わかってる、わかってる」
と言い続け、
最後まで、
おばあちゃんが生きている間に、
一言でいい
「ごめんなさい」
が、言えなかった。
おばあちゃんのお通夜で
横たわっているおばあちゃんの顔を
見た瞬間、お父さんは
「母ちゃん、ごめん、母ちゃん、ごめん」
と何度も言いながら泣いていた。
書きながら、私も今また泣けてきた。
その父も、もうこの世にはいない。
死んでしまえば、
その時、それがどんなに大変なことだろうと
思い出になる。
今となっては、
あの時は大変だったね。
と、懐かしく思っている。
そして、私が実家に帰った理由として、
いま思うと……
私は、おばあちゃんと、
お父さんの弟である叔父とやりとりをしていたので
あばあちゃんが亡くなった情報もすぐに聞けたし
実家にいたので、
すぐにお父さんをお通夜に連れて行くことができた。
お父さんは1人だったら、
お通夜には行かなかっただろう。。。
そして、不思議な事が起きたのだ。
私は東京で働いている時、
おばあちゃんに仕送りをしていた。
仕送りと言っても毎月1万円。
銀行振込ではなく、現金書留で
ちょっとしたお手紙も添えて。
おばあちゃんの遺品の中にあった日記に
私のことが、ずっと書いてあったと、
叔父さんから聞いた。
そして、叔父さんが
「晴美ちゃん、これ少しだけど。」と
おばあちゃんからの遺産をもらったのだ。
叔父さんは、
「晴美ちゃん、
イギリスに行こうとしていたんだよね?
少しは足しになるかな。」
と。
もう東京に帰ろうと決めていたけど、
その前に、イギリスではなくてもいいから
どこか旅に出たいと思っていた。
本当に嬉しかった。
おばあちゃんの遺産は、
イギリスで1年留学ができるほどの
金額ではなかったが、
私は旅に出て、東京に戻るのに
ちょうどぴったりぐらいの金額だった。
その時の私の心は……
旅に出るのであれば、
イギリスではなくオーストラリアだった。
そして、私はオーストラリアの
シドニーのマンリービーチに4週間、
メルボルンで1ヶ月過ごし、東京に戻った。
(マンリービーチで過ごした語学学校)
(マンリービーチ)
オーストラリアで何度も
この Sony の BRAVIA の CM を Youtube で見た。
東京に戻って、また1から出直しだ。
そして、東京に戻り
シェアハウスでの生活が始まった。
今、私はこの時とは違うけれども、
静かな時を過ごしている。
「湧きおこること。」
「湧きおこるとき。」
それがタイミングであり、
流れが起きてくるのだろうと思う。
長年のクセでジタバタしたくなる。
自分に耐えれなくなる時もある。
ただ、必ず
湧きおこる瞬間は訪れる。
私は今、このブログを書きながら、
そう感じている。
おばあちゃんからの
メッセージかな。。。^^
おばあちゃん、ありがとう。
「無の感覚」体現ファシリテーター/メンタルコーチ
13年間、様々なトップアーティストのマネージメントに従事。表舞台と裏舞台を繋ぐ重要なポストに付きながらメンタル面の大切さに気づき、「心」と「意識」の勉強を始め、40歳を機に独立。セミナー・講座の講師として活動をスタート。
アーティストに深く関わってきた経験を活かし、“その人自身の本来の魅力や眠っている才能を引き出すサポートを得意とする。
現在は「場を創り、その人の可能性を引き出し、顕す。」というコンセプトを元にワークショップ、講座を提供している。また都内のアートギャラリーに勤務。
FM FUKUOKA 毎週木曜26:00〜「The PentHOuse」のアシスタントパーソナリティとしも活動中。