私は左耳が聞こえない。
でも、音楽業界で仕事をしてきた。
レコーディングで意見を聞かれる時もあったし、
ライブではPAさんに簡単な指示やお願いを
する時もあった。
私が「左耳が聞こえないから。。。」と言って
卑屈になっていたら、音楽に関わる仕事は
できなかなっただろう。
私はこの耳に関しては聞こえないことを
聞こえないままに自然と生きてきた。
それは両親のおかげでもあると思っている。
彼らは、私の左耳に関して
制限するようなことを一切言わなかった。
そしてある時、
私が尊敬するアーティストから
こんな言葉をかけてもらった。
「あなたは左耳が聞こえない分、
みんなが感じることが出来ない部分で
感じている音があるんだよ。」
その言葉は本当に嬉しかった。
聞こえないことを聞こえないままに
生きてきた。
どう、生きるか。
無性にミスチルの「擬態」という曲の
歌詞が頭に出てきて、
今、聴いてみた。
一番響いている歌詞の部分、
「富を得た者はそうでない者より
満たされてるって思ってるの!?
障害を持つ者はそうでない者より
不自由だって誰が決めるの!?
目じゃないとこ耳じゃないどこかを使って
見聞きをしなければ見落としてしまうものばかり」
そう、誰も決めない。
他人じゃない。
決めるのは自分。
どう生きるか、は自分が決めるんだ。
自由か不自由って感じることさえ、自分。
ただ、私の左耳に関していうと、
ヘッドホンでビートルズを聞くと、
もう、右、左にふってあるから、
全然普通に聞こえない〜!
モノじゃなくて、ステレオで聴いてみたい。
そんな欲求はあります。
と、今日は久しぶりに熱いことを書きたくなった
そんな日です。^^
「無の感覚」体現ファシリテーター/メンタルコーチ
13年間、様々なトップアーティストのマネージメントに従事。表舞台と裏舞台を繋ぐ重要なポストに付きながらメンタル面の大切さに気づき、「心」と「意識」の勉強を始め、40歳を機に独立。セミナー・講座の講師として活動をスタート。
アーティストに深く関わってきた経験を活かし、“その人自身の本来の魅力や眠っている才能を引き出すサポートを得意とする。
現在は「場を創り、その人の可能性を引き出し、顕す。」というコンセプトを元にワークショップ、講座を提供している。また都内のアートギャラリーに勤務。
FM FUKUOKA 毎週木曜26:00〜「The PentHOuse」のアシスタントパーソナリティとしも活動中。